広原ヒュッテリヒト in プリン国

「私はお金は要らないの。山がほしいの♡」をモットーに生きてきました。長野の山の中の私の夢のお城「広原ヒュッテリヒト」が完成するまでの笑いあり涙ありなストーリーを綴っています♪(2016年に完成しました!)

心の故郷 白馬から離れて 山の土地を探す

「私はお金は要らないの、山がほしいの!」と わたしが言ったと仰いますが、、、でも それは ほんの 10年くらい前のことでしょう。「山に家を!」と わたしが言い始めたのは、実は まだわたしが ティーンエイジャーの頃のことです。その頃、長年 北アルプスに魅せられていた父が 結婚前から持っていた白馬の家をとうとう手放して、懐かしの わたしの心の故郷に もう戻って行く場所がなくなってしまった!だから 帰って行くことのできる "山の家"を いつか建てる!と ティーンエイジャーのわたしは 言っていたのでした。

それから 月日が流れ流れて 何十年も経ちました。

心のどこかに "山の家"への思いは 常にあったのかもしれませんが、忙しい現実の中では 遠い幻想でしかなくなっていたはずでした。それでも その10年程前に「山がほしい!」と 思わず言ってしまったのだとしたら、何か 根強い必然が わたしの中に在ったに違いありません。

その後、「山の土地」や  「山の家」の話題は 時々 わたし達の間で上がるようにはなりましたが、本気で 「山に土地を探そう!そして 家を建てるよ!」となったきっかけは 東日本大震災でした。今後 もし東京に何かあっても 仲間たちみんなが集まれる "山の家"があれば きっとどうにかなる! そして、仲間たちが それぞれの大切なものをシェアできる場を作ろう!と、何かに駆り立てられるように そんな思いを抱くようになったのです。

白馬に?とも もちろん考えました。

でも わたしの心の故郷の白馬は どうしてもどうしても 今でも 東京からはとても遠い。雪が多いということも、魅力ではあるけれど、やはり 雪は 現実的には 問題となります。

そして 色々なご縁が重なって、小淵沢から 県境を長野県側に越えた 富士見町にお住まいの奥住さんご一家をご紹介いただきました。70年代に この地へ東京から移住なさったったという山男の春樹さんは ステンドグラスのアーティストで、 現在の山暮らしは なんと白馬から繋がっているのだと判明!「東京からは 2時間ですし 白馬へも 2時間で行けますよ!」と 春樹さんは この地を推薦してくださるのですが、わたしはまだまだ迷っていました。

そんなある晴れた朝「ミドさん、この景色を見てください!」と 春樹さんが連れて行ってくださった 富士見の 広々と畑の広がる場所から見えたのは、、、南に 雄々しい 唯一無二の富士山、西に 甲斐駒ケ岳をはじめとする 青のイメージの南アルプス、東に 沢山の頂を携えてそびえる 八ヶ岳、そして そして、、、遥か遠くの北の空に キラキラと 真っ白に輝く 北アルプスが‼︎  "overwhelmed"とは こういうことなのでしょう! "その連山の北の端に わたしの白馬岳が在るのだ♡"  その瞬間に 決まったのでした、"そうだ!ここに土地を探す‼︎"

2011年、11月、北アルプスに 少し早めの冬が訪れた年のことでした。

 

 

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2歳から5歳になる年まで過ごした 白馬の家。

思えば たった3年間 住んでいただけの家だったわけだ。この家のことは よく覚えている。

家の 南側は 芝生の向こうが ずっとイチゴ畑だった。

父の好きだった五竜岳が 正面に見え、その左は 鹿島槍ヶ岳。 この家は わたしが 5歳の春 ストーブの煙突から火が出て 全焼したが、今も度々夢に出て来るくらいに 人生の原点とも言える家だった。

そこから始まっている繋がりの線上になれるほどの "山の家"を はたして 本当に建てられるのか⁇